過酸化水素を使った楮の蒸解と漂白

<蒸解と漂白が同時に出来ないかと言う幼稚な疑問>
紙漉きを始めて間もなくの1974年ごろ、好奇心が旺盛だったのか,無鉄砲だったのか、ある時楮原料の蒸解と漂白が同時に出来ないかと言う疑問を持った。それも当地は同業者も無く知識を得るのは紙関係の書物しかなかった。出張の折には古本屋周りをして紙関係の書籍を買いあさったものである。その書物の中に塩素でなく、過酸化水素を使った漂白処理の方法が記載されていた。多分,当時としても新しい方法であったかと今になって思う。早速出入りの薬品業者より過酸化水素を購入し、テストを始めた。そのような書籍に書かれているのは概略であって、現場での使用方法までは詳しくは書かれていない。ニューヨークへ行くのに,中学時代に使った世界地図を持ち出して見ているようなものである。案の定、蒸解中の釜の中に過酸化水素を入れると急激な反応を起こし、半分近くの蒸解液が溢れ出したことを思い起こす。大失敗だったと言う意識よりも、周りの好奇心に答えることの出来なかった気恥ずかしさが先に立ち、この試みはこれで蓋がされた。

<酸素アルカリ蒸解の技術供与(環境問題)>
25年前の大失敗を思い起こしたのが、環境問題であった。楮の蒸解液は、戦時中には洗濯するのに石鹸変わりに使っていた、豆炭の接着剤として混ぜていた,田んぼに入れると除草剤変わりになり、土壌の酸性化を押さえるなど言われ重宝がられていたと聞いているが、時代の変遷にはそのようなことも言っていられなくなった。人件費の問題も含めて海外で原料を調達するなどの試みをしてきたが、どうしても解決せずには逃れることの出来ない問題として浮上してきた。靱皮繊維は蒸解処理をすると、排アルカリ(苛性ソーダーなどの残留アルカリ)、色素(黒褐色の排液)とCOD(残留酸素要求度)の問題に行き当たる。そこで思い当たったのが徳島市内で工業用特殊紙を製造している阿波製紙株式会社で、リンター処理に用いられている加圧酸素アルカリ蒸解法である。リンターを楮に置き換えて処理が出来ないかとの問いに、前真鍋工場長は快く相談に乗ってくれた。基礎データ―作りには、四国工業技術院のxxxxさんと観音寺のxxxxxの協力を得て、また、実機設計にあたり阿波製紙(株)研究室の浜課長の指導と研究室で数回の蒸解試験を1年余り繰り返し、1997年に山川町三椏楮生産組合に設置,稼動している(写真1)。紙面の都合でフロー等は割愛するが、当装置で蒸解処理された排液の状態を別紙(表1)に記す。
<言うよりも産むがやすし、瓢箪から駒、必要は発明の母>
前述の加圧酸素アルカリ蒸解法の基礎データ―作りの過程で、過酸化水素を使用してはとの提案も出て来た。ご存知のように過酸化水素は反応して水と酸素になる。何度か蒸解試験をしたが、圧力釜での試験では、過酸化水素の反応が非常に不安定で、圧力のコントロールが非常に難しく、それをコントロールしようとすると我々の管理能力以上の知識と設備が必要となり、実用的でないとの理由で断念した。只、日本パーオキサイド株式会社研究室のxxxx氏の指導では、全く不可能ではないとの感触を得て継続試験することになった。通常の過酸化水素を用いた漂白方法は、3%前後のアルカリと安定剤に過酸化水素を加える。漂白用にアルカリを使うのであればこのアルカリを蒸解用に利用できるのではないか。アルカリを加えるのであれば蒸解が出来ないわけが無いと言う単純な発想から始まった。このような考えが前提にあり、蒸解と漂白工程をどのように一緒にするかを検討中に、現場担当者はこの漂白の処方で蒸解をしてしまった。結果は,とんでもないことが起こったと言うか、当たり前のことであるが蒸解液が黒くない。白濁した液体と白く漂白された楮の繊維がある。目の前に見せ付けられて、眼から鱗が落ちたような、すばらしい大発見でもしたような気持ちになった。只、3%位の苛性ソーダーでの蒸解である為にアルカリ溶出分は溶け出してなく、繊維の解離には困難で、数日すると滑りが出てくる。しかし,蒸解液は黒褐色でなく白濁している。

<過酸化水素添加>
試行錯誤の結果、蒸解と漂白は同時には出来ないと判断して、現在は表2のような工程で処理をしている。また、COD値は図2まで落ちると希釈することで充分処理ができる。また、排アルカリは硫酸で中和処理をしPH8以下になるように処理をしている。
この処理方法で漉きあげて紙は、多少固めに上がるようである。と言うことは,歩留まりがよいと考えられる。まだ,紙の物性試験まで出来ていないが、我々は悪くわないとの判断をしている。
次亜塩素酸ソーダーによる漂白はダイオキシンの問題があり、蒸解からは黒液に含まれる色素,COD値を高める靱皮繊維からの溶出物質、蒸解時に使用する残留アルカリ、どれを取っても多量に排出すると環境に負担をかける。紙屋とは因果な仕事である。しかし、過酸化水素を添加することによりどれもが解決をする。酸素が生物の営みに重要な役割を果たしているとは知っていたが、このような形で仕事に関わってくるとは考えもしなかった。
楮,三椏,雁皮、麻などの和紙に使われる植物繊維は、ケナフ等と同様に環境、地球にやさしい紙用素材です。製造工程に過酸化水素を用いることにより一層やさしさを増しました。

<お礼>
今回の酸素アルカリ蒸解、過酸化水素漂白に関して多くの方々の無形のご援助をいただきました。文中で敬意を表しますと共に、常に先駆的指導をしていただいています徳島県商工政策課の野々村俊夫氏、漂白が燃焼だと教えていただいた三菱化学のxxxxさんに末尾ながらお礼申し上げます。また、蒸解試験は当社大野XXX,資料収集には藤野XXXがチャレンジ精神で当たりました。
まだ、このプロセスは完成されたものとは考えていません。もし、ご興味のある方がおいででしたら、貴地まで出向き、一緒に研究をしたいと考えています。ご連絡を下さい。


本稿は季刊和紙用に作成された元原稿です。詳しくは、季刊和紙をご覧ください。

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March 20, 2019

過酸化水素を使った楮の蒸解と漂白

<蒸解と漂白が同時に出来ないかと言う幼稚な疑問>
紙漉きを始めて間もなくの1974年ごろ、好奇心が旺盛だったのか,無鉄砲だったのか、ある時楮原料の蒸解と漂白が同時に出来ないかと言う疑問を持った。それも当地は同業者も無く知識を得るのは紙関係の書物しかなかった。出張の折には古本屋周りをして紙関係の書籍を買いあさったものである。その書物の中に塩素でなく、過酸化水素を使った漂白処理の方法が記載されていた。多分,当時としても新しい方法であったかと今になって思う。早速出入りの薬品業者より過酸化水素を購入し、テストを始めた。そのような書籍に書かれているのは概略であって、現場での使用方法までは詳しくは書かれていない。ニューヨークへ行くのに,中学時代に使った世界地図を持ち出して見ているようなものである。案の定、蒸解中の釜の中に過酸化水素を入れると急激な反応を起こし、半分近くの蒸解液が溢れ出したことを思い起こす。大失敗だったと言う意識よりも、周りの好奇心に答えることの出来なかった気恥ずかしさが先に立ち、この試みはこれで蓋がされた。

<酸素アルカリ蒸解の技術供与(環境問題)>
25年前の大失敗を思い起こしたのが、環境問題であった。楮の蒸解液は、戦時中には洗濯するのに石鹸変わりに使っていた、豆炭の接着剤として混ぜていた,田んぼに入れると除草剤変わりになり、土壌の酸性化を押さえるなど言われ重宝がられていたと聞いているが、時代の変遷にはそのようなことも言っていられなくなった。人件費の問題も含めて海外で原料を調達するなどの試みをしてきたが、どうしても解決せずには逃れることの出来ない問題として浮上してきた。靱皮繊維は蒸解処理をすると、排アルカリ(苛性ソーダーなどの残留アルカリ)、色素(黒褐色の排液)とCOD(残留酸素要求度)の問題に行き当たる。そこで思い当たったのが徳島市内で工業用特殊紙を製造している阿波製紙株式会社で、リンター処理に用いられている加圧酸素アルカリ蒸解法である。リンターを楮に置き換えて処理が出来ないかとの問いに、前真鍋工場長は快く相談に乗ってくれた。基礎データ―作りには、四国工業技術院のxxxxさんと観音寺のxxxxxの協力を得て、また、実機設計にあたり阿波製紙(株)研究室の浜課長の指導と研究室で数回の蒸解試験を1年余り繰り返し、1997年に山川町三椏楮生産組合に設置,稼動している(写真1)。紙面の都合でフロー等は割愛するが、当装置で蒸解処理された排液の状態を別紙(表1)に記す。
<言うよりも産むがやすし、瓢箪から駒、必要は発明の母>
前述の加圧酸素アルカリ蒸解法の基礎データ―作りの過程で、過酸化水素を使用してはとの提案も出て来た。ご存知のように過酸化水素は反応して水と酸素になる。何度か蒸解試験をしたが、圧力釜での試験では、過酸化水素の反応が非常に不安定で、圧力のコントロールが非常に難しく、それをコントロールしようとすると我々の管理能力以上の知識と設備が必要となり、実用的でないとの理由で断念した。只、日本パーオキサイド株式会社研究室のxxxx氏の指導では、全く不可能ではないとの感触を得て継続試験することになった。通常の過酸化水素を用いた漂白方法は、3%前後のアルカリと安定剤に過酸化水素を加える。漂白用にアルカリを使うのであればこのアルカリを蒸解用に利用できるのではないか。アルカリを加えるのであれば蒸解が出来ないわけが無いと言う単純な発想から始まった。このような考えが前提にあり、蒸解と漂白工程をどのように一緒にするかを検討中に、現場担当者はこの漂白の処方で蒸解をしてしまった。結果は,とんでもないことが起こったと言うか、当たり前のことであるが蒸解液が黒くない。白濁した液体と白く漂白された楮の繊維がある。目の前に見せ付けられて、眼から鱗が落ちたような、すばらしい大発見でもしたような気持ちになった。只、3%位の苛性ソーダーでの蒸解である為にアルカリ溶出分は溶け出してなく、繊維の解離には困難で、数日すると滑りが出てくる。しかし,蒸解液は黒褐色でなく白濁している。

<過酸化水素添加>
試行錯誤の結果、蒸解と漂白は同時には出来ないと判断して、現在は表2のような工程で処理をしている。また、COD値は図2まで落ちると希釈することで充分処理ができる。また、排アルカリは硫酸で中和処理をしPH8以下になるように処理をしている。
この処理方法で漉きあげて紙は、多少固めに上がるようである。と言うことは,歩留まりがよいと考えられる。まだ,紙の物性試験まで出来ていないが、我々は悪くわないとの判断をしている。
次亜塩素酸ソーダーによる漂白はダイオキシンの問題があり、蒸解からは黒液に含まれる色素,COD値を高める靱皮繊維からの溶出物質、蒸解時に使用する残留アルカリ、どれを取っても多量に排出すると環境に負担をかける。紙屋とは因果な仕事である。しかし、過酸化水素を添加することによりどれもが解決をする。酸素が生物の営みに重要な役割を果たしているとは知っていたが、このような形で仕事に関わってくるとは考えもしなかった。
楮,三椏,雁皮、麻などの和紙に使われる植物繊維は、ケナフ等と同様に環境、地球にやさしい紙用素材です。製造工程に過酸化水素を用いることにより一層やさしさを増しました。

<お礼>
今回の酸素アルカリ蒸解、過酸化水素漂白に関して多くの方々の無形のご援助をいただきました。文中で敬意を表しますと共に、常に先駆的指導をしていただいています徳島県商工政策課の野々村俊夫氏、漂白が燃焼だと教えていただいた三菱化学のxxxxさんに末尾ながらお礼申し上げます。また、蒸解試験は当社大野XXX,資料収集には藤野XXXがチャレンジ精神で当たりました。
まだ、このプロセスは完成されたものとは考えていません。もし、ご興味のある方がおいででしたら、貴地まで出向き、一緒に研究をしたいと考えています。ご連絡を下さい。


本稿は季刊和紙用に作成された元原稿です。詳しくは、季刊和紙をご覧ください。

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October 08, 2018

ウィーン万国博覧会と小杉文庫

 明治期の忌部族の顛末を調べている内に、国立国会図書館の蔵書に小杉文庫があるのを知った。小杉文庫は阿波蜂須賀藩の国学者小杉榲邨の蔵書で、大正期初期に散逸を憂いて帝国図書館において収集された。神祇関係・美術工芸関係・史学・文学関係などの調査書類や古典籍、または古文書・古記録の写本などが数多く残されている。当然、小杉文庫の特徴は、「阿波国文庫」が多いのであるが、興味深いのは「ウィーン万国博覧会関 係資料が含まれている」ことであった。その文庫の中に「造紙説」という上下巻を発見した。この造紙説は「博覧会事務局」用箋を使った、手書きの写本版で有る。小杉が帝室博物館に勤務した時期に入手したと考えられるウィーン万国博覧会関係資料の一部である。

読み進めているうちに下巻に「阿波國 雁皮紙製造の発端」と言う一節を発見した。

文化3年(1806)小原俊造なるものが、川田村の住民高尾熊七に伝授し、その孫浅次は精励努力したと記されている。また、色は浅赤、浅青、浅黄、浅緑、純白の五色である。浅赤は礬紅(ばんこう、弁柄)、浅青は藍染紙を漉き直す、浅黄は黄檗、浅緑は紺紙と黄檗で彩色するとある。後に、染色の方法、漉き方法、用具の説明と雁皮の枝、皮などを含めた用具類の詳細図が掲載されている。これらは明治政府が明治51月に博覧会事務局を設置し、地方から出品する出品物を選定する際の取り扱い心得に法って記されている。

造紙説 博覧会事務局編 国立国会図書館蔵
 

 

原田家(吉野川市山川町川東)には、明治初期の博覧会への出展が如何に盛大に行われたかを表す記念碑的なメダルと感謝状が残っている。借用して精査すると三回の博覧会への出展が記録されている。特筆することは、その当時の造紙が保管されていることであった。ウィーン万博に出展されたであろう「阿波國 雁皮紙製造の発端」の流れを汲むであろう四色の雁皮紙が保管されている(浅黄は見当たらなかった)。他にも、透かし入りの典具帳紙が内国勧業博覧会賞状と共に十数枚保管されており、当時の技術水準の高さを今に残すものである。

小杉 榲邨(こすぎ すぎむら、天保5年12月30日1835年1月28日) - 明治43年(1910年3月29日)は、国学者阿波国(現徳島県)出身。徳島藩陪臣蜂須賀家中老西尾志摩の家臣[1])の子として生まれる。通称は五郎、号は杉園(さんえん)。藩校で漢学経史を学び、古典の研究に専念し、本居内遠の門人である池辺真榛に師事。安政元年(1854年)、江戸に出て、村田春野小中村清矩と交わった。文久ころ、勤王論を唱えて幽閉された。明治2年(1869年)、藩から地誌の編集、典籍の講義を命じられた。

廃藩ののち、名東県に出任した。明治7年(1874年)、教部省に出仕し、明治10年(1877年)に文部省で修史館掌記として『古事類苑』の編集に従った。明治15年(1882年)、東京大学古典講習科で国文を講じ、さらに文科大学講師、その間、帝室博物館監査掛評議員として古社寺の建築、国宝の調査に従事した。

明治32年(1899年)、東京美術学校教授、御歌所参候を兼ねた。明治34年(1901年)、文学博士。「徴古雑抄」の著がある。

明治40年(1907年)、『源氏物語』の写本のひとつである大沢本を鑑定した(「鑑定筆記」)。明治43年(1910年)、食道癌のため死去[2]。(Wikipedia)

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August 03, 2018

サイズとはー滲み止め(内添サイズ)

紙に使われる繊維は柔軟で、シートを構成した場合には繊維間は多孔質で吸水性に富んでいます。特に筆記用紙に使う場合には水性インキは滲み、毛羽立ちをするので筆記特性はよくありません。また、印刷にしても耐水性を付与したり、また毛羽立ちをしないようにする必要があります。書写に適した紙にするためには、吸水性があってかつ適度に撥水性もある物質を紙に塗って、表面にインクがにじんでしまうのを防がなければなりません。

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膠と明礬(AlK(SO4)2・12H2O)

膠は接着剤として古代エジプトの時代から使われてきました。純度の高いものをゼラチン、低いものを膠と言っています。膠(ゼラチン)のコロイド水溶液に熱を加えることによりゾル化して溶液になり、冷却することによりゲル化して固化する性質を持っています。ドーサ引きの手法は、紙に用いられるより先んじて、建築の下地作りに用いられてきました。神社仏閣などの建造物に彩色をする場合に木地にドーサ引きをし、胡粉を塗り下地にします。その上に顔料で彩色を施します。この方法がいつ頃何処で始まったのか知見はありませんが、日本画でも同じような手法で描かれています。枠に絹を貼り、ドーサ液を両面に塗ります。その後胡粉を塗って画材の仕上げになります。

ドーサ引きにおける膠と明礬の役割は、膠はその接着剤として繊維間の結合を助け、紙に腰と表面強度を付与します。膠だけだと、如何に固化した膠であれども、水に触れると溶質し始めます。これは利点でもあり、欠点でもあります。明礬は、殺菌作用と共にタンパク質を収斂する作用があり、滲み止めの効果と膠を不溶性にする役割があります。

紙の場合、明礬に含まれるアルミニウムが膠と反応する事により、硫酸根が乾燥後の紙の中に残り、大気中などの水分と反応して紙が酸性になります。ドーサ引きには酸は必要なく副産物として生成されるのであるからして、それを防止するために原紙をアルカリ性にして中和すると言う方法も考えられます。伝統的な手漉和紙の製法はアルカリ状態で工程を進めます。それをより意識した状態で紙漉を進めれば、紙が中性域で保存され、酸性化の影響を最小にすることが出来るのではないかと考えます。

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July 08, 2018

和紙の原料

1.和紙の原料 

古くから和紙の原料は、楮を代表にして、三椏、雁皮の靭皮繊維を中心に使われてきました。それぞれに優れた特質があり、いずれも繊維が長くて強靱で、光沢があり、和紙の特徴である薄くて強い性質を表出する事ができます。これ以外に、大麻、桑、竹、木材パルプ、わらなどを補助原料としてもちいています。最近では、野菜、野草、土などを入れて美術、工芸的な紙を漉くこともあります。

只、楮、三椏、雁皮が和紙を代表する原料とされていますが、煮熟とか打解の処理の方法を変えれば異なる性質の紙になることと、補助原料の繊維の長短、成紙の風合いなどを考慮して、紙作りをする必要があります。

以下、楮、三椏、雁皮の生育から処理の方法までを説明して、次項では補助原料の説明をして紙作りの一助にしたいと思います。

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楮(こうぞ) (Broussonetia kajinoki)

楮は生長も早く収量も多いため、紙の原料として栽培や収穫方法、原料のパルプ化に麻などと比べると使い易く、製紙の初期の時代から用いられて来ました。出来上がった紙も強くて美しい紙になり、様々な用途に用いられ、和紙の代名詞と言っても過言ではありません。

楮はクワ科の多年生の高木で、自然に成長させると5~6mにもなりますが、栽培する場合は、毎年根際から刈り取りますので1.5~2mの高さに成長するのが普通です。雌雄同株で種類は多く、麻葉、要葉、真楮の三種に大別出来る。昔は靭皮の繊維で布を織り、木綿(ゆう、楮の繊維を紡いだ糸)といったので、楮のことをユフと呼んだこともあります。徳島の山間部では木綿を紡いで太布(たふ)が伝承されています。

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July 07, 2018

紙の枯れ、紙を寝かす、風邪を引く

紙は生紙から数ヶ月放置して置くと紙質が変化します。その変化は「枯れる」と表現しますが、総じて使用者に取って良くなります。良くなると言うのはどう言う事かというと、蒸気乾燥の場合は過乾燥になっていますから、紙が呼吸をして繊維に含まれる水分が平準化(水分率が10%前後)され緊張がほぐれます。自然乾燥の紙は、水分が多いので適度に放湿して紙が締まってきます。このような事を考えると紙中の水分の移動が組成に影響しているではないかと考えられます。ですから、ビニール袋などに大切に保管された紙よりも、普通に保管され、吸湿を繰り返すような、俗に言う「息をしている」状態で保管された紙が、枯れた状態に早くなるようです。

枯れた状態がどのようなものかを言い表すと、生紙の時には、水性インクで描くとインクの滲みがありましたが、「枯れ」てくると滲みが少なくなります。経時変化で紙に含まれているヘミセルロースが酸化されることにより起こる変化は、繊維に一定量は吸水するがそれ以上は吸水しない性質が生まれ、ドーサ引きとは違った滲み止めになるのであろうと想像します。

紙中に含まれる水分と大気による酸化作用が繊維に変化をもたらす事象が紙の枯れると言うことと考えられます。

「紙を寝かす」という言い方もありますが、同義語と考えて良いかと思います。「紙を寝かす」事により「紙が枯れ」て来ます。

只、保管環境を間違うと「紙が風邪を引きます」。高温多湿の環境で長期間保管されている間に、腰がなく柔らかくなって変色した紙。耐久性がなく、墨や絵具がつきにくく、印刷もしにくく、毛羽たちやすい。繊維細胞を膠着させているヘミセルロースが分解して劣化したためといわれる。また、粘剤に雑菌が混入していたため斑点のできているものを風邪引き紙という。

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July 06, 2018

藍の染色

藍の染色

藍の葉の中にはインジカンと言う無色の物質が含まれていて、葉が傷ついたり、枯れると加水分解を起こし、インドキシルに変化する。インドキシルは水溶性の無色な物質で繊維などに染着し、空気酸化をすることにより不溶性のインジゴに変性し青色を呈する。

 藍の染色方法には、生葉を直接繊維に揉み込んで染め着ける原始的な「生葉染め」の方法とや沈殿藍に加工してアルカリを加えて行う「建染め」の方法があリます。この藍草で染めるという二つの方法は全く異質な染色方法です。

 

「生葉染め」

藍草の葉を摘み取り、すり潰しながら水を加え、布で搾り越します。これを染浴として、布や糸を漬け込みます。この染浴にはインディカンが含まれています。インディカンに含まれるインドキシルは酸素のような穏やかな酸化剤によりインディゴを合成します。水中のインディゴは不溶性ですので染着しません。水溶性のインディカンは繊維の中に吸着し、空気に曝して酸化発色させます。この時に灰を加えて洗うとより濃い青を程すると言われています。

生葉染めは、絹や羊毛、ナイロンには染色できますが、麻や木綿は立て染めでしか染まりません。

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1.大量に生葉が必要な場合には、ミキサーを使います。葉と茎の部分を選別して、生葉と適当な水を加えて生葉のジュースを作ります。綿布などでバットに濾して染色液を作ります。

2.絹のハンカチやショールを染色液の中に入れて、液中で動かしながら20分位染色をします。

3.バットから取り出し、軽く絞ります。広げて大気中に晒し、酸化します

4.希望の濃度まで染色と酸化を繰り返します。

5.中性洗剤で軽く洗い、陰干しをして乾燥させて仕上げます。

「建て染め」

藍草には藍(インジゴ)が含まれているのではなく、その元になるインジカンという無色の物質が含まれています。その藍草を百日余りの発酵加工期間を経てを作り出します。その期間にインジカンは全て青いインジゴに変化します。しかし、インジゴは水に不溶性ですので可溶性にしなければなりません。それを微生物の力を利用して発酵還元してロイコ体(還元型のインジゴ)という黄色を帯びた水溶性の物質に変えます。そうすると不溶性であったインジゴはロイコ体として繊維の中に浸透することができます。ロイコ体を酸化して青いインジゴを生成します。

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藍の歴史

藍の歴史


藍は藍という植物があるのではなく、インディカンと言う色素を含んだ植物から、その土地に合った種々の方法でインディカンを取り出し藍染がされてきました。

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その藍染の歴史は古く、インダス文明が栄えたチグリスユウフラテス川の流域で4500年前の藍染の遺構が発見されたと言われ、エジプトのミイラに藍染の布(mummy clothes)が巻かれていたと言われています。また、紀元前のアンデス文明の遺構から藍染された布が発見されたとも言われています。欧州では6世紀ごろからウォード(大青)から抽出されたインディゴが盛んに用いられ、16世紀ごろまでには一大産業になっていました。しかし、その16世紀初頭よりインドからインド藍(マメ科)が輸入されるようになると衰退が始まり、18世紀ごろにはインド藍に取って代わられました。


日本の藍染めは、(蝦夷)大青(アブラナ科)を使ったアイヌ民族の藍染と沖縄地方で行われている琉球藍(キツネノマゴ科)を使った藍染と蓼藍(タデ科)から作ったによる藍染の方法に大別されます。それぞれの伝搬経路と発展手段があり現在に至っています。


蝦夷大青は、ヨーロッパからシベリアまでのステップ地帯で自生しているから、黒竜江のダッタン人から伝わったとされる説があり、ヨーロッパ産とは区別して呼ばれていました。琉球藍は、インド、インドシナ半島、中国の南部の亜熱帯性地域で栽培され、インド藍と同じく沈殿法で作られます。蓼藍は、中国原産で亜熱

帯性、温帯性の地域で栽 培されています。奈良時代以前に中国から伝わったとされ、大和朝廷の時代以前(約300~710年)から、中国・韓国との交流により藍染めが伝わったと思われます。藍は薬草の一種で、食用や薬草として伝わったのか、染材として伝わったのかわかりませんが、延喜式には染色に使用された藍葉の使用数量が記載されています。同書の「巻14 縫殿寮雑染用度」項には「深縹綾一疋、藍十圍、薪六十斤」などと、色調や布品質・量、染材、それを温める薪量の順に記述され、「巻15内蔵寮」に「生藍六圍」(5)とあります。ある時、藍草が摩擦で緑色に刷り込まれ、衣服を洗浄されることにより淡い青色(生葉染め)を呈することを発見し、何かの弾みで灰汁などアルカリが加わることによりより鮮明な藍色(建て染め)になることを体現した。このような年月を重ねた技術の発展は紙作りにもあり、灰汁で楮を煮熟するのは食料の煮炊きからヒントを得たのかもしれない。アルカリを使用することを工夫するようになると同時に、保管や輸送方法が便利なように、乾葉にして保管し、発酵することでを作り上げました。このようにして今の藍染の原型が発達してきたと言えると思います。



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indican :無色の有機化合物で、によく溶け、天然ではアイに見出される。インディゴの前駆体である。

indigo:Jenny Balfour-Paul British Museum Press P13

「天然染料の研究」吉岡常雄著、光村推古書院

藍植物による染料加工ー「製藍」技術の民族誌的比較研究、井関和代、P54


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August 02, 2012

花は咲く

私は何を残しただろう
いつか恋する君の為に

昨夜から何回聞いただろうか、何回口ずさんだだろうか。
金曜日には東京で口ずさみたい。

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